常務理事コラム

 創り主なる神さまから人間がどんどん離れていってしまう。それが「賢さ」だと思っていますが、そこには言いしれぬ危険があります。愚かなことです。しかし、そんな人間のために、神さまが無限の賢さを捨て、人間の愚かさに身をもって届こうとなされたところに「神の愚かさ」があります。

 イエスさまは「十字架から降りてみよ」と言われたとき、そこに釘付けられたまま敵のために赦しを祈りました。何という「愚かさ」でしょうか。神さまが人間に代わって罪の裁きを受け、死の苦しみを浴びる。何という「神の愚かさ」でしょうか。けれども、この愚かさを「愛」と呼ばずして何と呼びましょう。この愛こそが、神さまの本領です。

 この世の賢さに本当に救いがあるでしょうか。この世の賢さで私たちは本当に賢くなるでしょうか。何が尊く、何が愚かなことでしょう。文明と科学の世紀に最も人が殺され死んでいく現実の中から、さあ、神さまの愛に立ち帰って生きようではありませんか。

(常務理事 吉盂陝