常務理事コラム

「繋がって生きていく」
自分が生きるというとき、自分の存在の位置はいったいどこにあり、その価値はいったい何なのだろう?
人間にとってとても深刻で根本的なこの問題に対して、イエス様が示してくださったたとえは実に豊かで慰めに満ちています。イエス様は、わたしたちはぶどうの枝だとおっしゃいます。枝の背後にはぶどうの木があり、その背後には木を植えた農夫がいます。そして、農夫はぶどうの枝が結ぶ実を待っていてくださるのです。人間の存在性にはそのような繋がりと背景があり、人生の実にはそのような期待が込められているのです。
自分ひとりでがんばり、自分自身の力で、己の存在性や人生の意味をつくりあげるのではありません。ひとふりの枝として自分を理解し、他の枝とともに繋がっている幹を知り、人生の実りの受けとめ処を知る。そのことによって、自分という存在がどれほど大きな愛と期待の中で生きているかに目が開かれることでしょう。
繋がって生きている。繋がって生きていく。それに気づくことです。

(常務理事 吉盂陝