佐々木和之さん、恵さん ルワンダでの生活2005年分
佐々木氏の家族が無事にルワンダに到着しました。2005年12月22日
昨晩6時頃(日本時間午前1時)、予定より約7時間遅れで家族が無事ルワンダに到着しました。荷物も全て無事届きました。かなりの長旅になりましたが、皆健康が支えられ、元気にしています。子どもたちは、元気いっぱい、朝の6時頃から「番犬」クッキーと一緒に走りまわったり、サッカーをしたりして遊んでいます。恵は機内でほとんど眠れなかったということで、昨晩はさすが疲れ切っていましたが、今朝の体調はとても良いようです。家族の無事到着のためにお祈りくださりありがとうございました。こちらの気候や生活に慣れるのにしばらく時間が掛かると思いますが、家族で共に祈り、支えあっていきたいと思います。ルワンダは明日からクリスマス休暇に入ります。今日明日、多少生活に必要な品物の買出し等がありますが、その後はゆっくりできると思います。ルワンダで初めてのクリスマスを、家族一緒にお祝いできることを主に感謝します。どうか皆さまも良いクリスマスをお迎え下さい。お祈りとご支援を感謝しつつ
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2005年11月11日
佐々木氏からギフマ村訪問記が届きました。
以下に掲載します。
(PDFファイルはこちら)
また、北陸学院中学のチャペルでルワンダの話を聞いた生徒たちが「平和のキルト」を作り、
ルワンダに送って下さることになりました。
そのことについて、北陸中日新聞のHPで紹介されています。
北陸中日新聞URL(Chunichi Web Press) http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/ikw/index.shtml
こちらのサイト(期間限定)で、10月26日の記事をご覧下さい。
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2005年11月9日
日本で祈っていてくださる皆様へ
お元気でお過ごしでしょうか?いつもお祈りとご支援をありがとうございます。
ルワンダに来てから1ヶ月以上がたち、大分こちらの生活に心と体が馴染んできました。
心の面では、こちらの人々のペースを受け入れ、
私の方もゆっくりやっていくしかないとの覚悟ができました。
体の面では、標高約1500メートルのキガリでも夜ぐっすり眠れるようになってきました。
まだまだ急な坂を上る時などには息が切れますが。10月26日の午後から27日の夕方まで、
首都キガリの南方50キロくらいのところにあるギタラマ州のギフマ村に行ってきました。
訪問の目的は、
村で行われているガチャチャ民衆法廷
(ジェノサイド関与者を裁くために設けられた民衆法廷)
を見学すること、
そして、約1年ぶりにマテオさん(本名ヴェヌースさん)注1とパスカルさんという
2人の友人に再会することでした。
彼らと初めて出会ったのは、今から3年以上前のことです
(その時の様子については、バプテスト女性連合発行『世の光』2004年2月号
もしくはバプテスト連盟宣教研究所発行『宣研ニュースレター』55号http://www.bapren.jp/Senken/index.htmlを参照)。
ヴェヌースとパスカルとの出会い
この2人のことについて、
初めてお聞きになられる方々のために、
以前書いたり話したりしたことではありますが、
彼らとの出会いについて簡単にご紹介します。
ヴェヌースさんは、1994年のジェノサイド(集団殺戮)の生存者の1人です。
ギフマ村では、1994年のジェノサイドによって、
彼の母親と叔父さんを含む18名のツチ系住民が犠牲になったということです。
パスカルさんは、ヴェヌースさんの叔父さんを含む、数名の殺害に関与した殺人犯です。
彼と初めて出会ったのは刑務所の中でしたが、
罪を告白したために、1年半くらい前から仮釈放の処分でギフマ村に戻ってきているのです。神様の不思議な導きにより、
ヴェヌースさんとパスカルさんは、
パスカルさんが仮釈放される前に、刑務所の外で言葉を交わしていました。
ある日、パスカルさんは囚人仲間と共に町外れにあるレンガ工場の作業に借り出されていました。
彼らがレンガ工場での作業開始を待っていたときに、
ヴェヌースさんがそこを通りがかったのでした。
彼に目を留め、歩み寄ってきたヴェヌースさんに、
パスカルさんは自分が刑務所内で罪の告白をしたことを伝え、謝罪の言葉を述べました。
驚くべきことに、ヴェヌースさんはそれを黙って聞き終えると一言、
「告白できて本当に良かった」という言葉をかけたというのです。
パスカルさんはこのヴェヌースさんの言葉に深い慰めを受け、
ガチャチャ法廷が始まったら真実を余すところなく証言しようとの決意を固くしたのでした。一方、ヴェヌースさんも、虐殺に関与した囚人たちの中にも、
パスカルさんのように自分の犯した過ちを悔い、
真実を証言しようとしている者がいることに励ましを受けているようでした。
私がパスカルさんから刑務所で授かった挨拶の言葉を伝えると、
ヴェヌースさんは顔をほころばせて
「虐殺犯の中にも悔改めている者がいることをパスカルが証明しているんだ」
と言いました。
それまで終始暗い表情で話していた彼の顔から、その時始めて白い歯がこぼれました。この2人のルワンダ人との出会いは、
私にとって大きな希望を与えてくれる出来事でした。
ルワンダの悲惨な紛争の歴史を考えると、
この国の人々が憎しみを乗り越え、
和解を成し遂げていくためには少なくとも数世代を要することでしょう。
しかし、たとえ数は限られていても、既に赦しと和解への道を歩みだしている人々がいるのです。
私は、主イエスが既に現地の人々をご自身の和解の働きに招きいれ、
用い始めておられることを知らされたのでした。
一年前の再会
それから約1年半後、
2004年の8月に2人と再会することができました。
初めてあった時には刑務所にいたパスカルさんは、
2004年の1月に仮釈放の身となり、
年老いた母親やヴェヌースさんが住むギフマ村に8年ぶりに戻ってきました。
彼は、村に帰ってきてからというもの、
彼と同じフツ系住民から度々嫌がらせを受けているということでした。
やがて始まるガチャチャ民衆法廷で彼が真実を証言しないように、
口封じのために脅迫じみたことをする人々がいるからです。
それどころか、
あらぬ言いがかりをつけて彼を再び刑務所に入れてしまおうという謀略があるとのことでした。
そこでヴェヌースさんは、
もしそんなことが起きたら必ず彼を刑務所から連れ戻すように運動をするといって、
パスカルさんを励ましているとのことでした。私は彼ら2人に私の気持ちを伝えました。
「あなたたちがこのようにして、ここに一緒にいるということ、
そのことに僕はとても励まされる。
僕は、神様がきっとあなたたちを通して、
この村で和解の働きを進めていかれようとされていると思うんだ」と。
彼らも口々にその通りだと言っていました。
パスカルさんは感極まって泣きだしました。
そして、私たちは共に祈りました。
主イエスが2人を支え続け、
彼らの村で平和と和解の働き人として用いていって下さるように、
そして、やがて村の人々が憎しみを乗り越えることが出来るようにと。
そして、私たちは再会を誓うとともに、お互いを覚えて祈ることを約束しました。
ガチャチャ法廷公聴会の傍聴
今回のギフマ村訪問中に、
約1年ぶりに彼らと再会することが出来ました。
今回彼らと会ったのは、ガチャチャ民衆法廷の会場になっている村役場の前の広場でした。
ガチャチャ法廷がギフマ村で始まったのは、今年1月のことです。
それから毎週木曜日には必ず人々が集まり、
裁判を始める前の準備段階としての公聴会が開かれているとうことでした。
公聴会では、ジェノサイド当時の状況についての目撃証言がなされます。
それらの証言をベースに、ジェノサイドの被害者と加害者の両方を特定し、
加害者一人ひとりに関する起訴状が作られることになっています。
殺人などの凶悪な犯罪行為については、
既にこれまでの公聴会で証言がなされ、
現在は、略奪など物的被害の状況と、
それに関与した人々を特定することが焦点であるとのことでした。公聴会の進行役は、
村人たちが自分たちの中から選んだ9人の「草の根裁判官」の中の裁判長が務めていました。
裁判長が繰り返し証言を促していたにもかかわらず、
そこに集っていたほとんどの村人たちは押し黙ったままでした。
私が以前調べたところによると、
虐殺を逃れるためにツチ系住民が避難したり隠れたりしている間に、
彼らの家畜や家財道具の略奪がフツ系住民の手によって広範に行われたことが分かっています。
ですから、ギフマ村の人口の圧倒的多数を占めているフツ系住民にとって、
略奪に関して証言することは、自分の家族や親戚、もしくは自分自身の罪を認めることです。
その結果、賠償責任を負わされることになるわけで、
人々の口が重くなるのも当然と言えば当然です。
また、被害者であるツチ系住民の中にも報復を恐れて証言を控える人たちが少なくありません。大多数の参加者が沈黙を続ける中で、
終始ヴェヌースさんとパスカルさんの2人が活発に発言を繰り返していました。
ヴェヌースさんは、
「略奪が広範に行われたことは明らかなのに、
それに関する証言がほとんど無いのはどういうわけか。
それに関与した人たちは、裁判が始まって糾弾される前に自ら名乗りでて、
私たち被害者に謝罪して欲しい」という趣旨の発言をしていました。
一方、パスカルさんは、
「私が自分が関わった虐殺に関して告白したことは、みなさんの知っている通りです。
それは、略奪とは比べものにならないくらい重大な犯罪です。
私が告白出来たのだから、略奪に関わった人たちにもそれが出来るはずだ」
と、人々に語りかけていました。
しかし、今回の公聴会は、
これといった証言がなされないまま次週へと持ち越されることになり、
開会の約3時間後に閉会しました。
心を揺さぶられた光景
公聴会の後、1時間くらいの短い時間でしたが、
ヴェヌースさんの家でヴェヌースさんとパスカルさんと話をすることが出来ました。
以前調査をしていた時に調査助手兼通訳をしてくれていた
同じ村出身のフランシスさんも一緒でした。ヴェヌースさんがお連れ合いと一緒に、
私たち客人をもてなすための準備をして下さっている間、
パスカルさんと私は、
小さな居間の中央に置かれたテーブルをはさんで向かい合って座っていました。
そこに4歳になったばかりというヴェヌースさんの末の娘さんがやってきて、
パスカルさんに愛らしい笑顔で話しかけました。
パスカルさんも柔和な笑顔でそれに応えました。
そして、彼女の腕に擦り傷が出来ているのを見つけると、
そこを撫でるようなしぐさをしながら、「もう痛くないかい」と優しく語り掛けました。
その二人の打ち解けた様子は、
パスカルさんがヴェヌース家の友人として受け入れられていることを示していました。私たちは、
自分の親族を殺害した犯人と自分の幼い娘が戯れている光景を容易に想像できるでしょうか?
パスカルさんの過去を知る人たちは、
彼がアバイスラム(イスラム団)というギャングのリーダーとして、
大虐殺の嵐が吹き荒れる前から非道の限りを尽くしていたと証言します。
当時はマリファナを常用し、
いつも目をギラギラさせながら恐喝や強盗などを繰り返していたと言います。
ジェノサイドが始まり、
当時のフツ至上主義政権がツチ系住民抹殺をフツ系住民の大義として掲げたときに、
パスカルさんは躊躇することもなく、
殺戮や略奪を繰り返したというのです。
それから11年後の今、
その彼が自分が殺害した被害者の親族の家で、
その家の幼い女の子と戯れている。
私はこの驚くべき光景を目にしたとき、
胸の中に熱いものがこみ上げて来るのを感じました。
その時はよく分かりませんでしたが、
自分の理解をはるかに超えた圧倒的な愛(エフェソ3:18−19)に
心が揺さぶられていたのではないかと思います。
主の和解の働きに与る者たちの希望
冒頭でガチャチャ民衆法廷のことに触れました。
この法廷は、「和解をもたらす正義」のプロセスとして、
現ルワンダ政権が7年以上の歳月を掛けて準備をし、
今年からようやく全国的に始まったものです。
80万人以上の大虐殺が起きたのはつい11年前のことです。
その過去に向き合っていく作業が、ルワンダの人々にとって容易なはずがありません。
人口の80パーセント以上を占めるフツ系住民の多くにとって、
ジェノサイドの真実を語るとは、自分の親族を告発することに他なりません。
またそれは、自分自身の罪と向き合い、
それを告白することに他ならず、私たち人間にとって困難を極める事柄です。注3
私は、ヴェヌースさんにこれまで開かれてきた公聴会の印象について聞いてみました。
その日の公聴会で彼とパスカルさんの孤軍奮闘ぶりを目にしていた私は、
彼がきっと失望感を抱いているに違いないと思いました。
しかし、私の予想に反して、
彼は、村人たちの間で起き始めているある「重大な変化」について、熱っぽく語り始めました。
彼によると、はじめは沈黙を保っていた村人たちの中から、
彼とパスカルさんの励ましと促しを受けて、
少しずつ大虐殺当時のことについて語り始める人たちが出てきているとのことでした。
具体的には、これまでに計5名の村人たちが虐殺関与の罪を認めて公に謝罪しました。
そのうちの3名は、既に自白をした虐殺犯の証言の中で彼らの関与が明らかになったため、そうせざるを得なかったのだろうとのことでした。
しかし、残りの2名は全く自発的にヴェヌースさんの家を訪れ、
自分たちの罪を告白し赦しを請うたのだそうです。
そして、公聴会の場でも告白と謝罪を公にしたとのことでした。
政府の「和解政策」により、
罪を糾弾される前に自白した加害者の刑期は、大幅に軽減されることが定められています。
しかし、ヴェヌースさんは、その2名の告白と謝罪が、
単に減刑を目当てになされたものではなく、真実なものであったと断言しました。
彼らが自分の家を訪ねてきてくれたこと、
そして、心から謝罪してくれたことに大きな慰めを受けているとも話してくれました。私は、ヴェヌースさんとパスカルさんを励まそうと思ってその日ギフマ村を訪れました。
しかし、彼らとの再会を果たし、逆に励まされたのは私の方でした。
彼らを取り巻く状況が依然としてたいへん厳しいものであることに変わりはありません。
わずか数名が罪を認めて謝ったところで、
すぐに村人たちの間に横たわっている根深い憎悪と不信が無くなるわけではありません。
何者かがいつ彼らを暗殺しようとするとも限らない。
それが彼らを取り巻いている状況です。
しかし、傍観者として外から見ていたのでは決して見ることの出来ない、
闇の中に輝く一筋の光を、この2人は確かに見出していたのでした。
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
これらすべて神から出ることであって、
神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、
また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。(第二コリント2:17−18)
彼の証によると、
パスカルさんは、刑務所の中でイエス・キリストによる罪の赦しの福音に出会い、
5年に及ぶ魂の遍歴の末、自分の罪を告白しました(『世の光』04年2月号)。
そして、ヴェヌースさんとの出会いによって、
キリストの無限の愛と赦しを具体的に体験することになったのです。
ヴェヌースさんもまた、かつて彼が私に証してくれたように、
これまで主イエスの愛の内に生かされ、
その中で主による癒しを体験してこなければ、
パスカルさんをこれほどまでに受け入れていくことは出来なかったでしょう。
かくして、この2人は主の愛によって新しくされ、
村の人々の和解のために働く主の同労者として歩み始めているのです。ギフマ村を離れる前、
私は彼らのために祈り続けること、
そして、彼らのことを主にある日本の兄弟姉妹たちに伝えることを約束しました。
彼らは皆様に何よりも、
彼らが主の導きのうちに、
これからも村の人々の和解のために共に働いていけるように祈って欲しいと言っていました。
私が皆様の祈りによって日々励まされているように、
彼らにとっても、皆様の祈りが大きな励ましと力になることでしょう。
遠く離れていても、祈りのうちに繋がれていることを感謝いたします。
皆様の上に主の豊かな守りと導きがありますように、お祈りいたします。佐々木 和之
注1これからは調査をしていた時に使っていた「マテオ」という仮名ではなく、本名のヴェヌースを使うことにします。
注3刑法上の犯罪を犯していない人でも、ジェノサイドを是認した人々、是認しなくてもそれを傍観せざるを得なかった人々など、多くの人々が罪の意識を持ちながら生きているという現実があります。
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2005年10月31日
佐々木和之氏からキガリの写真が届きました。
以下に関東学院三原台小学校宛の手紙を掲載します。
ルワンダ(キガリ)の状況が書かれています。
お祈りの課題もありますので、是非ご覧下さい。
いつもお祈りとご支援をありがとうございます。私も皆様の健康とお働きを覚えてお祈りしています。
佐々木和之
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<#a>#a> 2005年10月26日
関東学院三春台小学校のみなさんへ
ムラホ!みなさんお元気ですか。
私がルワンダの首都(しゅと)キガリに到着(とうちゃく)してから
もうすぐ三週間(さんしゅうかん)になります。日本はもう秋ですね。
ルワンダは二週間くらい前から雨期(うき)といって、雨の多い季節(きせつ)になりました。
ルワンダの季節
毎日(まいにち)夕方か夜にどしゃぶりの雨がふっています。
日本では春夏秋冬と四季(しき)がありますが、
ルワンダには雨がよくふる雨期とほとんどふらない乾期(かんき)のちがいがあるだけです。
四月から六月の三ヶ月間くらいが大雨期(だいうき)で、
たくさん雨がふる季節(きせつ)です。
十月から十二月頃までにも雨がふりますが、
大雨期ほどたくさんふらないので小雨期(しょううき)と言います。
残りの半年くらいはあめがほとんどふらず、乾期(かんき)と言います。
キガリの気候
みなさんは、ルワンダはきっととても暑いところなんだと思っているかもしれませんね。
たしかに赤道直下(せきどうちょっか)の近くにあり、
太陽(たいよう)の日ざしはとても強いです。
でも日本のように気温(きおん)が30度をこえることはまずありません。
一年を通してあたたかく、年の平均気温(へいきんきおん)は
たしか16度くらいだったと思います。
なぜ赤道直下の近くなのにものすごく暑くないかというと、
それは、キガリが標高(ひょうこう)の高いところにあるからです。
キガリの標高は1400メートルから1600メートルくらいです。
日本でも、高い山に登ると夏でも涼しいでしょう。
キガリは、夜になると少し冷えるので、
昼は半袖(はんそで)でよくても、夜には長袖(ながそで)が必要(ひつよう)になります。
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キガリの町キガリの町の写真(しゃしん)を送りますね。
ルワンダは「千の丘の国」と呼ばれるように、大きな丘がたくさんある国です。
キガリもいくつかの大きな丘からできていて、とても坂の多い町です。
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人口(じんこう)は約80万人です。
キガリは、政府(せいふ)の建物(たてもの)がある区域(くいき)、
銀行(ぎんこう)や商店(しょうてん)などがある区域、
お金持ちが住んでいる区域、まずしい人たちが住んでいる区域と、
場所(ばしょ)によってずいぶんと様子がちがいます。
二年くらい前からずいぶんと背の高いビルも増えてきました。
キガリで一番高いビルは、十階建ての銀行です。
お金もちは大きくてりっぱな家に住んでいますが、
大多数(だいたすう)のまずしい人たちはとても小さな家に住んでいます。
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キガリに住んでいる人たちが着ている服は、
皆さんが着ているのと同じような洋服(ようふく)です。
ただ新しい服は値段(ねだん)が高いので、
外国(がいこく)から輸入(ゆにゅう)された古着(ふるぎ)を着ている人が多いです。
キガリの交通手段(こうつうしゅだん)
ルワンダには鉄道(てつどう)がありません。
キガリの町には五種類(しゅるい)の交通手段があります。1) 乗合(のりあい)バス
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バスと言っても、
日本だと10人乗りくらいの自動車(じどうしゃ)ですが、
20人くらいのお客さんがぎゅうぎゅうづめになって乗っています。
日本で使われなくなった中古車(ちゅうこしゃ)を輸入(ゆにゅう)し、
改造(かいぞう)したものです。
私も今は毎日この乗合バスで移動(いどう)していますが、
しばらくすると道の悪い田舎(いなか)にも出かけなければならないため、
ランドクルーザーというジープを買う予定(よてい)です。2) オートバイタクシー
オートバイの後ろに乗せてもらって移動(いどう)します。
運転手(うんてんしゅ)さんがあまり上手(じょうず)ではないので、
ちょっとこわいです。3) 自転車(じてんしゃ)タクシー
あまり遠くないところであれば、
自転車(じてんしゃ)の荷台(にだい)に乗って移動(いどう)します。4) 普通(ふつう)のタクシー
運転手(うんてんしゅ)さんに目的地(もくてきち)を言えば
どこにでも連れていってくれる普通のタクシーです。
でも乗合(のりあい)バスなどとくらべるととても料金(りょうきん)が高いです。
たとえば、乗合バスだと150フラン(30円くらい)で行けるところでも、
普通のタクシーだと2500フラン(500円くらい)かかってしまいます。5) 自家用車(じかようしゃ)
自家用車を持っている人たちはまだごく一部(いちぶ)の人たちだけです。
ルワンダで走っている80パーセントくらいの車が日本製(にほんせい)だと思います。
平和(へいわ)のために働くREACH
私はキガリに到着(とうちゃく)してから、
REACH(リーチ)といって、
ルワンダ人のフィルバート・カリサ牧師(ぼくし)がつくった団体(だんたい)で
仕事を始めました。
ルワンダではつい五年くらい前まで国の中で戦争(せんそう)がありました。
ですから、ルワンダの人々の心の中にはまだたくさんの憎しみが残っています。
REACHは、戦争がまた起きないように、
ルワンダの人たちみんながなかなおりするお手伝いをしているのです。
どんなお手伝いをしているかは、次のお手紙で説明(せつめい)したいと思います。
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<#a align="center">#a> REACHのスタッフと一緒に
お祈りしてもらいたいこと1) 体がルワンダの気候(きこう)になれるように
ルワンダで元気に仕事をしていくためには、
まず体がこの国の気候(きこう)になれることが大切です。
キガリのように標高(ひょうこう)の高いところは、空気がうすいので、
なれるまでは普通(ふつう)に生活をしているだけでも疲れてしまいます。
夜もあんまりぐっすりねむれません。
それと、私が住んでいたイギリスのように、
あまり太陽の光が強くないところに体がなれてしまうと、
ルワンダの強い日ざしになれるまでに少し時間がかかります。
もうだいぶ良くなりましたが、
ルワンダに来てしばらくは太陽疹(たいようしん)と言って、
強い日差しが原因(げんいん)で、手や腕にたくさん湿疹(しっしん)ができました。
どうか少しずつ体がなじんでいくように、みなさんお祈りしてください。2) 病気(びょうき)や事故(じこ)からまもられるように
ルワンダには日本に無いこわい病気(びょうき)があります。
特に、マラリアといって、
高い熱(ねつ)がでたり、場合(ばあい)によっては死んでしまうこともある
こわい病気があります。
マラリアには、蚊(か)にさされるとかかります。
日本の蚊(か)とちがって、ルワンダの蚊(か)は、
顕微鏡(けんびきょう)でないと見えないくらい
小さなマラリア病原虫(びょうげんちゅう)を持っているからです。
病気や交通事故(こうつうじこ)など全ての危険(きけん)から
神様が守ってくださるようにお祈りしてください。
3) 日本からルワンダに来る家族(かぞく)のために
私の家族は日本の鹿児島市(かごしまし)にいます。
妻(つま)の恵(めぐみ)、長女の萌(もえ)中学2年生、
長男の仁(じん)小学6年生、次男の共喜(ともき)小学3年生の四人です。
12月頃にはルワンダに来れるように準備(じゅんび)をしています。
家族が準備を終えて、無事(ぶじ)にルワンダに来れるようにお祈りしてください。
それでは今日はこのへんで。
私もみなさんのことを思い出してお祈りしますね。
病気(びょうき)などしないように体に気をつけてすごしてください。さようなら。
佐々木和之
P.O.Box 3739
Kigali
RWANDA
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2005年10月4日
国際ミッションボランティアの佐々木和之氏(洋光台教会)が、派遣地ルワンダに到着しました。
現地での主な働きは、虐殺から10年が経つ中で、平和と和解のプログラムに取り組むことです。現地のキリスト教超教派NGO、REACHの働きに協力します。
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以下は佐々木氏から届いたEメールです。
Subject: 到着しました
予定を大幅に遅れ、今日10月2日午後6時頃にキガリに到着しました。
予定は1日の午前8時頃ですから、なんと34時間遅れというとんでもない旅になりました。
昨日の朝6時頃ナイロビに着陸予定だったのですが、
その前に貨物飛行機が荷物の積みすぎで離陸に失敗したとかで、
その処理をするのに時間がかかったとのことです。
私が乗っていたアムステルダムからの飛行機はケニアの海岸にあるモンバサに着陸しました。
その後空港の待合室で12時間以上待たされた後、ようやく午後7時頃にナイロビに向かいました。
ナイロビに到着したもののキガリ行きのフライトはキャンセルということで、
翌日(今日の昼12時過ぎ)までまたなければならないといわれました。
ナイロビ空港内は大混乱に陥っていて、
ボーディグパスを受け取るのに並ぶこと約3時間。
その後ケニアのビザを取得し、
ケニア航空が手配したホテルのヴァウチャーを受け取り、
ホテルに到着したのは既に夜の11時になっていました。
ところが到着したホテルでは部屋が無いといわれ、
自力で他のホテルに移動し、ようやく12時頃にチェックインすることができました。
今日は今日で空港で5,6時間待たされ、
やっとの思いでキガリに到着しました。
家を出てからキガリ空港に着くまでなんと52時間要したことになります。
荷物がきちんと届いたことは何よりでした。
空港までREAHCのフィルバートに迎えに来てもらい、
ホテル(オカピホテル)まで送ってもらいました。
フィルバートの家は改装中ということで、家がごったがえしているため、
ホテルにとまったほうがよいとのことでした。
今こちらは夜の9時ですが、
このメールを送信したら就寝しようと思います。
明日は早速銀行口座の開設や郵便私書箱の取得、ワークパーミットの手続きなどのため
朝から動くことになっています。
お祈りに覚えていただきありがとうございます。
いよいよルワンダでの生活が始まりました。
とんだスタートになりましたが、ここに連れ戻してくださった神様に感謝します。
また近いうちに連絡します。
佐々木和之